福山市の寺社を巡る2日目。本日は鞆の浦へバスで向かう。
鞆の浦は古代から潮待ちの港なので、古い町である。寺社も多い。
まずは福禅寺の対潮楼へ。
平安時代、950年頃の創建であり、客殿の対潮楼は江戸時代の1690年頃建てられた。対潮楼は江戸時代には朝鮮通信使の迎賓館として使用された。
この朝鮮通信使の資料などいろいろ展示されていたり、向かいの仙酔島の景色も良いのだが、御本尊の千手観音像も立派なものだった。
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福禅寺対潮楼からの眺め |
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福禅寺 本堂 |
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福禅寺 御馬堂の馬の像 |
神社には神馬がよくいるが、ここ福禅寺には珍しく馬がいた。しかも親子二体。
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福禅寺の御朱印 |
次は鞆の浦の街の中にある安国寺へ向かう。ここから港に向かって多くのお寺が並んでおり、お堂などを拝観できたりはするが、人気が少ない。ネットには御朱印の情報もあったりするが、拝観だけで通り過ぎる。
次は沼名前神社。大綿津見命と須佐之男命を御祭神とし、式内社でもある歴史ある神社。拝殿はコンクリート造りの近代的なもの。山を上がったところに社殿があるので、境内から海を見渡せる。
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沼名前神社 鳥居 |
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沼名前神社 随身門 |
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沼名前神社 拝殿 |
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沼名前神社の御朱印 |
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沼名前神社からの眺め |
バスで鞆の浦から福山駅へ戻り、昼食を取る。その後歩いて駅の北側にある福山城の方へ。まずは福山城を過ぎて福山八幡宮へ行く。
福山八幡宮は左右に社殿が並んでおり、その間は50mほど離れている。その間にも社殿が新たに作られていて、3つが並んでいる。
元々は東御宮は宇佐八幡宮から、西御宮は鶴岡八幡宮からそれぞれ勧請され、別々の地にあったものだが、江戸時代に二社並ぶように移されたそうである。2つの社の神門、鳥居、参道、社殿が同じように並べて作られて、おもしろい。しかも2つの神社の法人格が1つになったのは1969年だそうで、長い歴史からみればつい最近のことである。
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福山八幡宮 東御宮 鳥居 |
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福山八幡宮 西御宮 鳥居 |
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福山八幡宮 東御宮 社殿 |
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福山八幡宮 西御宮 社殿 |
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福山八幡宮 中央社殿 |
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福山八幡宮の御朱印 |
次は福山八幡宮のすぐ東にある艮(うしとら)神社に行く。こちらは1110年頃に牛頭天王社として建立されており、旧福山最古の神社とのことである。「旧福山」というのがいつの頃を指すのかわからないが、。
福山城築城時に鬼門の艮の方位を鎮める神社としたため、明治以降は「艮神社」という名前になったそうである。
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艮神社 鳥居 |
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艮神社 社殿 |
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艮神社の御朱印 |
さて少し戻って福山城北隣にある、備後護國神社に寄る。
元々は1813年に福山藩主(阿部氏)が祖霊を祀ったのが始まりで阿部神社と称していたが、昭和32年に備後護国神社と合併してからは、備後護国神社と名前を改めたそうである。
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備後護国神社 神門 |
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備後護国神社 社殿 |
元々は普通の神社であるためか昔ながらの建物であり、あまり護国神社ぽくない。
ちょうどの他の人の祈祷をしていて、忙しそうだったので御朱印はいただかなかった。
次は福山城の敷地内にある三蔵稲荷神社へ。
こちらは初代の福山藩の初代藩主である水野勝成公が福山城築城の際に守護神として祀ったのが始まりだそうである。訪れたのが8月であり、小学生が授与所でお手伝いしていた。
大きな神社ではないが、能舞台のようなものもあった。
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三蔵稲荷神社 鳥居 |
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三蔵稲荷神社 社殿 |
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三蔵稲荷神社 能舞台 |
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三蔵稲荷神社の御朱印 |
この日の寺社巡りはこれで終わり、帰宅の途についた。
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