2017年12月4日月曜日

大阪市玉造付近の寺社巡りから法善寺まで

この日は大阪の玉造付近の寺社を巡る。
始まりは三光神社から。JR大阪環状線玉造駅から西へ200mほど。この辺は住宅地らしく近所の人が買い物に出かけたりしている。駅前から一本通りを中へ入るともう静かな感じ。
三光神社は大阪城の南側にある真田山に鎮座し、真田幸村が大坂冬の陣の際に築いた偃月城(真田山)がすぐ近くにあった場所である。
拝殿の中にねぶたのように作られた幸村の像があった。ここは大阪七福神巡りの寿老神でもあり、神職は武内宿禰の末裔だそうである。

三光神社 鳥居
三光神社 社殿
三光神社の御朱印
次は三光神社から少し西に向かって歩き、どんどろ大師善福寺へ。
もともとは鏡如庵大師堂というお堂があったが明治6年に廃り、明治42年に豊能町にあった善福寺がここに移転してきたそうである。
2階建ての建物になっており、本堂は階段を上がって2階にある。本堂の中で女性の方に御朱印をいただいた。豪快な字だった。摂津国八十八ヶ所の第十一番札所である。
どんどろ大師 善福寺
善福寺 勝軍地蔵尊
ここの地蔵尊は勝軍地蔵尊といい、兜をかぶっていて珍しい。
善福寺の御朱印
善福寺から南へ道1本下ったところの心眼寺。ここには真田信繁(幸村)のお墓があるそうである。静かで案内書きもなかったので御朱印はいただかず。
心眼寺 山門
心眼寺 本堂
次は心眼寺の南隣にある興徳寺へ。
こちらは摂津国八十八ヶ所の第十二番札所である。御本尊は薬師如来だが境内に大きな准提観音様もおり、両方の御朱印をいただいた。庭にはいろんな木を植えており、ミツマタやボケがきれいに咲いていた。

興徳寺 山門
興徳寺 本堂
興徳寺 准提観音
興徳寺の御朱印(薬師如来)
興徳寺の御朱印(准提観音)
次は興徳寺からちょっと南西にある円珠庵へ。
こちらは鎌八幡とも言われており、悪縁切りのお寺である。境内に木には多くの鎌が刺さっていた。境内は全域撮影禁止・撮影機材の持ち込みも禁止との貼り紙があったので、鞄にカメラを収めてから訪問する。
人当たりの良さそうな尼僧さんに御朱印をいただいた。御詠歌もあるとのことだったので、そちらもいただいた。摂津国八十八ヶ所の第十五番札所でもある。
円珠庵(鎌八幡) 入り口
円珠庵(鎌八幡)の御朱印
円珠庵(鎌八幡)の御詠歌
次は円珠庵からさらに南に下って東高津宮に行ってみる。
難波高津宮に遷都した仁徳天皇と仁徳天皇の4人の皇后のうちの一人である磐之媛命を御祭神としている。
この日はちょうど春のお祭りをしている最中であり、忙しそうだったので御朱印はいただかず。
東高津宮 鳥居
東高津宮 社殿
さて、次はちょっと離れて、近鉄大阪線で布施駅まで足を伸ばす。
駅から大阪方面に戻ると浅草寺がある。名前の通り東京の浅草寺の観音様の御分身を奉戴しているそうである。
お寺の目の前の通りに大きな鳥居があるから大きなお寺かと思ったが、そうではなかった。道沿いにいきなり建物が建っており、その中に入るともうお堂であった。
浅草寺
浅草寺の御朱印
また近鉄に載って難波へ戻り、今度は日本橋で降りる。
最後に訪れるのは千日前の法善寺。法善寺横丁で有名なお寺である。
繁華街の中にあり、訪問客も多かった。
金比羅様もいるようだが、有名なのはお不動様。みんなが水をかけてお参りするので、きれいに苔むしている。

法善寺 金比羅堂
法善寺 不動堂
法善寺 水掛不動様
法善寺の御朱印

さて、本日の巡拝は終わったので、飲みに行く。
この日はうらなんばにある「櫛羅」(くじら)へ。こちらは奈良の千代酒造の直営店で篠峯・櫛羅のみを置いている立ち飲み屋である。ビールさえない。
お総菜の種類は多くて、料理とお酒を楽しめる。
「櫛羅」にて。篠峯とお惣菜
ホタルイカの刺身もあった。美味。


広島県福山市の神社2(鞆の浦、福山城周辺)

福山市の寺社を巡る2日目。本日は鞆の浦へバスで向かう。
鞆の浦は古代から潮待ちの港なので、古い町である。寺社も多い。
まずは福禅寺の対潮楼へ。
平安時代、950年頃の創建であり、客殿の対潮楼は江戸時代の1690年頃建てられた。対潮楼は江戸時代には朝鮮通信使の迎賓館として使用された。
この朝鮮通信使の資料などいろいろ展示されていたり、向かいの仙酔島の景色も良いのだが、御本尊の千手観音像も立派なものだった。
福禅寺対潮楼からの眺め
福禅寺 本堂
福禅寺 御馬堂の馬の像
神社には神馬がよくいるが、ここ福禅寺には珍しく馬がいた。しかも親子二体。

福禅寺の御朱印
次は鞆の浦の街の中にある安国寺へ向かう。ここから港に向かって多くのお寺が並んでおり、お堂などを拝観できたりはするが、人気が少ない。ネットには御朱印の情報もあったりするが、拝観だけで通り過ぎる。

次は沼名前神社。大綿津見命と須佐之男命を御祭神とし、式内社でもある歴史ある神社。拝殿はコンクリート造りの近代的なもの。山を上がったところに社殿があるので、境内から海を見渡せる。
沼名前神社 鳥居
沼名前神社 随身門
沼名前神社 拝殿
沼名前神社の御朱印
沼名前神社からの眺め
バスで鞆の浦から福山駅へ戻り、昼食を取る。その後歩いて駅の北側にある福山城の方へ。まずは福山城を過ぎて福山八幡宮へ行く。
福山八幡宮は左右に社殿が並んでおり、その間は50mほど離れている。その間にも社殿が新たに作られていて、3つが並んでいる。
元々は東御宮は宇佐八幡宮から、西御宮は鶴岡八幡宮からそれぞれ勧請され、別々の地にあったものだが、江戸時代に二社並ぶように移されたそうである。2つの社の神門、鳥居、参道、社殿が同じように並べて作られて、おもしろい。しかも2つの神社の法人格が1つになったのは1969年だそうで、長い歴史からみればつい最近のことである。
福山八幡宮 東御宮 鳥居
福山八幡宮 西御宮 鳥居
福山八幡宮 東御宮 社殿
福山八幡宮 西御宮 社殿
福山八幡宮 中央社殿
福山八幡宮の御朱印
次は福山八幡宮のすぐ東にある艮(うしとら)神社に行く。こちらは1110年頃に牛頭天王社として建立されており、旧福山最古の神社とのことである。「旧福山」というのがいつの頃を指すのかわからないが、。
福山城築城時に鬼門の艮の方位を鎮める神社としたため、明治以降は「艮神社」という名前になったそうである。
艮神社 鳥居
艮神社 社殿
艮神社の御朱印
さて少し戻って福山城北隣にある、備後護國神社に寄る。
元々は1813年に福山藩主(阿部氏)が祖霊を祀ったのが始まりで阿部神社と称していたが、昭和32年に備後護国神社と合併してからは、備後護国神社と名前を改めたそうである。

備後護国神社 神門
備後護国神社 社殿
元々は普通の神社であるためか昔ながらの建物であり、あまり護国神社ぽくない。
ちょうどの他の人の祈祷をしていて、忙しそうだったので御朱印はいただかなかった。

次は福山城の敷地内にある三蔵稲荷神社へ。
こちらは初代の福山藩の初代藩主である水野勝成公が福山城築城の際に守護神として祀ったのが始まりだそうである。訪れたのが8月であり、小学生が授与所でお手伝いしていた。
大きな神社ではないが、能舞台のようなものもあった。
三蔵稲荷神社 鳥居
三蔵稲荷神社 社殿
三蔵稲荷神社 能舞台
三蔵稲荷神社の御朱印
この日の寺社巡りはこれで終わり、帰宅の途についた。