2018年9月17日月曜日

羽曳野市・藤井寺市・大阪市平野区の寺社巡り

近鉄南大阪線の古市駅で降りる。駅のすぐ東側に白鳥神社があったので、行ってみる。
残念ながら人気はなかったので、お参りするのみ。

白鳥神社 鳥居

白鳥神社 拝殿
駅近くの駐輪場にあるレンタサイクルで自転車を借りて回る。
まずは古市駅から北西の方にある野中寺へ。
こちらは聖徳太子御遺跡第五番、西国薬師第十四番の霊場である。
聖徳太子建立48寺院の1つとのこと。「中の太子」とも呼ばれている。
周りは車の通行も多いが境内に入ると静かである。
野中寺 山門

野中寺 本堂
野中寺の御朱印(薬師如来)

野中寺の御朱印(中之太子)

次は野中寺から北上し、藤井寺駅近くの辛國神社へ。
この日は年末でもあり、茅の輪が置かれていた。しかし年末の茅の輪は珍しいのでは?
初詣の準備も進められていた。こちらは雄略天皇の時代に創建された式内社である。
この地方を治めた物部氏の同族の辛國連が祭祀の中心となったことから辛國神社と呼ばれるようになったとのことである。また御祭神のひとつは物部氏の祖神の饒速日命である。
辛國神社 鳥居

辛國神社 茅の輪

辛國神社 拝殿

辛國神社の御朱印
次は少し北東に進み、藤井寺市北條町にある黒田神社へ。
ここも式内社であり、茅の輪が設置されていた。しかし人の気配はなく、御朱印はなかった。
黒田神社 鳥居

黒田神社 拝殿
次は国道170号線を南へ下り、土師ノ里駅を越えたあたりの道明寺へ。
道明寺のあたりは菅原道真の祖先である土師氏の根拠地に土師氏の氏寺土師寺として建立されたそうである。その後道真の死後に道明寺に改められた。
御本尊の十一面観音菩薩像は道真の作で国宝だそうだ。
道明寺 入り口
道明寺 楼門

道明寺 本堂

道明寺の御朱印
道明寺のすぐ東側に道明寺天満宮があるので、こちらにも参る。
境内は広く立派な神社である。
御祭神は菅原道真公、天穂日命と菅原道真公のおばにあたる覚寿尼公である。覚寿尼公が平安時代に土師寺に住んでおり、道真公が太宰府に左遷される時にも覚寿尼公の家に立ち寄ったとのことである。
道明寺天満宮 入り口

道明寺天満宮 鳥居

道明寺天満宮 拝殿

道明寺天満宮の御朱印
さらに国道170号線を南下し、少し西に入ったところにある誉田八幡宮に寄る。
御祭神である応神天皇の天皇陵のすぐ南に御鎮座しており、立派な神社である。

誉田八幡宮 鳥居

誉田八幡宮 神門

誉田八幡宮 拝殿

誉田八幡宮の御朱印
次は古市駅まで戻り、駅の東側にある西琳寺に行く。
西琳寺は創建時は寺域は広かったらしいが今はこじんまりとしたお寺となっている。
西琳寺 山門

西琳寺 本堂

西琳寺の御朱印(聖徳太子霊跡)

西琳寺の御朱印(御本尊)
次は南東方面へ川を越えて杜本神社へ。
こちらも式内社である。
残念ながら社務所はなく、宮司宅?は近くにあったが声はかけずにお参りのみする。
杜本神社 鳥居

杜本神社 拝殿
さて、自転車を返却し、電車で移動する。
近鉄道明寺駅から道明寺線で柏原へ。JR関西線に乗り換えて平野駅で降りる。
平野駅から南へ下り、大念仏寺へ。
大きな本堂とともに境内も広い。街中にこんな大きなお寺があるとは思わなかった。
大念仏寺 山門

大念仏寺 本堂
大念仏寺の御朱印(御本尊)

大念仏寺の御朱印(おおさか十三仏)
 大念仏寺を出てさらに南下していき、平野本町通商店街にある全興寺に寄る。
全興寺の御本尊である薬師如来は聖徳太子の作らしい。また当寺は杭全神社の奥の院と仰がれており神事も行われているそうである。
全興寺 入り口

全興寺 本堂

全興寺の御朱印
最後は平野駅の方に戻り、杭全神社へ。
読み方は「くまたじんじゃ」と読む。絶対読めないだろう。
平安時代に平野郷の守護神として奉祀されたのが始まりであり、立派な神社である。
杭全神社 鳥居

杭全神社 拝殿

杭全神社の御朱印
今日はたくさんの寺社を回った。
平野駅より帰途につく。















2018年9月16日日曜日

京田辺市、城陽市の寺社

本日は京田辺市、城陽市の寺社を巡る。
近鉄新田辺駅東側にある駐輪場にてレンタサイクルを借りる。
変速なしのママチャリで1日300円と安い。

まずは南に下って近鉄の駅でいうと2番目、三山木駅近くの寿宝寺に行く。
府道65号線の北側にある。寿宝寺の目の前に「和銅四年設定 山本駅旧跡」の碑がある。これは大宝律令が制定された時に官道が整備され、和銅四年(711年)に設置された駅の1つとのこと。大変歴史が古い。
寿宝寺もそのころの704年の創建と伝わっているらしい。
境内には本堂の他に収蔵庫があり、その扉が開いていたので見てみると、なんと実際に千の手がある十一面千手千眼観世音菩薩立像が安置されていた。千手あるのは葛井寺など、例が少なく珍しい。それがあまり人のいないところでじっくり見ることができるのがうれしい。このような像があるというのを知らなかったので、驚きつつ喜んだ。
山本駅旧跡の碑


寿宝寺 本堂
寿宝寺 収蔵庫
寿宝寺の御朱印
寿宝寺を出て府道65号線を西へ。同志社大学の入り口をすぎ、京名和道の手前くらいにある大御堂観音寺に寄る。山の麓の開けたところにある。

観音寺の参道
観音寺 本堂
観音寺の御朱印
次は北上し、京田辺市の大住地区にある月読神社へ。
式内社であり由緒正しい神社である。
社務所のような建物はあるが人気はなく、御朱印はいただけなかった。
月読神社 鳥居

月読神社 拝殿
ここ大住の地は九州の大隅地方から薩摩隼人が7世紀頃に移住してきたそうである。その強度の隼人舞という踊りを大嘗祭の時に朝廷で演じたり、月読神社に奉納したりして現代に継承しているそうである。

次は木津川を渡り対岸の城陽市に行く。
鴻の巣山の麓に水度神社がある。ここは旧寺田村の産土神であり、こちらも延喜式内社だそうだ。住宅地のすぐ近くではあるが水が流れていて木々に囲まれ静かなところである。本殿は室町時代の1448年に建立されたそうで結構古い。立派な門構えもある。
社務所にて御朱印をいただく。

水度神社 鳥居

水度神社 拝殿

水度神社 本殿

水度神社の御朱印
再び京田辺市に戻り、今度は酬恩庵一休寺へ。ここは一休禅師が堂宇を再興し晩年を過ごし、遺骨もこちらに埋葬されているということで、一休寺と呼ばれている。
また一休禅師は後小松天皇の血を引くとあり、「後小松天皇皇子 宗純王墓」として宮内庁管理の札も立っている。

一休寺 山門

一休禅師墓所

一休寺 方丈庭園

一休寺の御朱印

最後に一休寺のすぐ近くにある棚倉孫神社へ。
県道から急坂を登って、山がくぼんだ所に神社がある。こちらも式内社である。本殿は桃山時代の建物とのことだった。

棚倉孫神社 全景

棚倉孫神社 拝殿
棚倉孫神社の御朱印

御朱印をいただいて今日の活動を終了。
新田辺駅近くにレンタサイクルの自転車を返却し、帰途につく。